カミングアウトの後遺症
2003年4月5日あの日が夢ならばよかった。
「悪夢」のひと言で片付けられたのに・・・
3月21日からの3連休。
途中まではとても楽しい休みだった。
初日は気の置けない仲間との楽しいオフ会
があり、飲み会でお酒を飲まないというの
は初めてだったが、回りのみなさんと楽し
く有意義なひとときを過ごすことができた。
22日は朝から産婦人科検診。連休の谷間
だというのに病院は大混雑で、さんざん待
たされたものの胎児は順調に大きくなって
いて一安心。午後は元同僚で現在はうちの
会社の親会社に転社したIちゃんと久々に
会って美味しいランチを取りながら近況を
語り合った。Iちゃんは私の妊娠をとても
喜んでくれて「私も早くいいご縁があれば」
と、結婚願望がムクムクと湧き上がってき
たようだった。
そこまでだった。
私が幸せ気分の浮かれポンチだったのは。
3月22日の夕方、何かが音をたてて崩れ
出した。嘘であってほしかった事実。
20日から夫が出張で不在だったため、こ
の日は実家に泊まることになっていたので
夕方実家へ帰ったのだ。
前回行ったのは3月1日。空白の3週間の
間に、父は入院していた。
安定期に入っていない私がショックのあま
りにパニックを起こして流産しないよう、
母は私だけに父の病気を隠していたのだ。
妹たちまで道連れにして。
「チチガ、シヌカモシレナイ」
こんなことが、こんなに早く・・・、まだ
父は64歳なのに。仕事を辞めて3年で、
今度は病気と闘うことになっただなんて。
本人は単なる体調不良だと思って行った病
院で大病であることを知らされ、しばらく
は放心状態だったそうだ。
他人に厳しく自分に甘い父なので「大した
ことないよ」と嘘をつくと大好きなお酒を
止めないだろうと母は判断し、医師に本人
への告知を頼んだという。
母もまた、辛かったであろう。
でも、父が不調を訴えてから検査入院、そ
して本格的に入院して治療をするまでの約
1ヶ月間の出来事は、全て私にも夫にも内
密で行われていた。
(前回実家へ行った頃は、検査入院後の結
果待ちの時期だったらしい。父は普通の表
情だったが、妙に言葉少なだった理由が今
になってわかったのだ。)
家族が私の体を気遣ってくれたのはわかる、
でも後から聞かされるより、ある程度その
過程で話してもらっていたほうが私にはよ
かった。苦しいけど、それが原因でお腹の
我が子を犠牲にするわけないじゃないか。
結局私には信用がないのだ。
あの日から、日記も何もしばらく書けない
日々は続いた。何かを書き出すと涙が溢れ
て止まらないからだ。
最近、妹からの電話で聞かされた話では母
が私に説明した父の病状より実際は悪い状
態らしい。先週一旦退院し、それからは毎
月通院しながら自宅療養に励むことになっ
た父。入院のことですら退院する数日前に
聞かされた私は、実家に戻っている父に会
いにいくことが出来ない。
気丈に振る舞える自信がないこと、そして
父の姿を見るのが怖くてためらっている。
妹は「パパは不治の病ではないはずだ、必
ず道は開ける」と信じてあらゆる方法を調
べ、健康食品等を取り寄せて熱心に勧めて
いるようで、父も素直に応じているらしい。
でも、心は上の空だとか。
私にはその気持ちがわかる気がする。
どんなに無念で寂しいだろう。
私にできることは、元気な孫を産むことだ
けなのかも知れない。
それが、どれくらい父に希望を与えられる
のかはわからないが。
「悪夢」のひと言で片付けられたのに・・・
3月21日からの3連休。
途中まではとても楽しい休みだった。
初日は気の置けない仲間との楽しいオフ会
があり、飲み会でお酒を飲まないというの
は初めてだったが、回りのみなさんと楽し
く有意義なひとときを過ごすことができた。
22日は朝から産婦人科検診。連休の谷間
だというのに病院は大混雑で、さんざん待
たされたものの胎児は順調に大きくなって
いて一安心。午後は元同僚で現在はうちの
会社の親会社に転社したIちゃんと久々に
会って美味しいランチを取りながら近況を
語り合った。Iちゃんは私の妊娠をとても
喜んでくれて「私も早くいいご縁があれば」
と、結婚願望がムクムクと湧き上がってき
たようだった。
そこまでだった。
私が幸せ気分の浮かれポンチだったのは。
3月22日の夕方、何かが音をたてて崩れ
出した。嘘であってほしかった事実。
20日から夫が出張で不在だったため、こ
の日は実家に泊まることになっていたので
夕方実家へ帰ったのだ。
前回行ったのは3月1日。空白の3週間の
間に、父は入院していた。
安定期に入っていない私がショックのあま
りにパニックを起こして流産しないよう、
母は私だけに父の病気を隠していたのだ。
妹たちまで道連れにして。
「チチガ、シヌカモシレナイ」
こんなことが、こんなに早く・・・、まだ
父は64歳なのに。仕事を辞めて3年で、
今度は病気と闘うことになっただなんて。
本人は単なる体調不良だと思って行った病
院で大病であることを知らされ、しばらく
は放心状態だったそうだ。
他人に厳しく自分に甘い父なので「大した
ことないよ」と嘘をつくと大好きなお酒を
止めないだろうと母は判断し、医師に本人
への告知を頼んだという。
母もまた、辛かったであろう。
でも、父が不調を訴えてから検査入院、そ
して本格的に入院して治療をするまでの約
1ヶ月間の出来事は、全て私にも夫にも内
密で行われていた。
(前回実家へ行った頃は、検査入院後の結
果待ちの時期だったらしい。父は普通の表
情だったが、妙に言葉少なだった理由が今
になってわかったのだ。)
家族が私の体を気遣ってくれたのはわかる、
でも後から聞かされるより、ある程度その
過程で話してもらっていたほうが私にはよ
かった。苦しいけど、それが原因でお腹の
我が子を犠牲にするわけないじゃないか。
結局私には信用がないのだ。
あの日から、日記も何もしばらく書けない
日々は続いた。何かを書き出すと涙が溢れ
て止まらないからだ。
最近、妹からの電話で聞かされた話では母
が私に説明した父の病状より実際は悪い状
態らしい。先週一旦退院し、それからは毎
月通院しながら自宅療養に励むことになっ
た父。入院のことですら退院する数日前に
聞かされた私は、実家に戻っている父に会
いにいくことが出来ない。
気丈に振る舞える自信がないこと、そして
父の姿を見るのが怖くてためらっている。
妹は「パパは不治の病ではないはずだ、必
ず道は開ける」と信じてあらゆる方法を調
べ、健康食品等を取り寄せて熱心に勧めて
いるようで、父も素直に応じているらしい。
でも、心は上の空だとか。
私にはその気持ちがわかる気がする。
どんなに無念で寂しいだろう。
私にできることは、元気な孫を産むことだ
けなのかも知れない。
それが、どれくらい父に希望を与えられる
のかはわからないが。
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