昨日の午後、母から電話があった。
木曜に父の定期検査の為に病院へ行った際、
病院のエスカレーターで父が貧血を起こして
数段転落してしまい(母と一緒に車で行った
のだが駐車場が混んでいたので母は父を先に
降ろして順番待ちをしていた。父は受付を済
まそうと一人でエスカレーターに乗ったのだ
った。)たまたま居合わせた人や看護士さん
に助けられて処置室に入り、診察の結果肺炎
を併発していた為急遽入院したとのこと。
しかし倒れたのが病院であったし、肺炎が早
期発見出来たことも幸いして一週間ほどの入
院でいいらしい。「寝てばかりいると頭がボ
ンヤリしてくるみたいで、たまに呂律が回ら
ない時があるから日曜に○○ちゃん(=うち
の夫)とお見舞いに行って。ママも時間を合
わせて行くから。」と頼まれたので、今日は
午後から夫と車で病院へ行くことにした。
ここの病院は駐車場が狭く(現在拡張工事を
しているとか)この日も一台出たら一台入れ
る・・・といった感じで我々も30分くらい
待たされた。やっとのことで車を停め、二人
で病室に行くと父は口を開けて寝ていたので
ベッドの横に椅子を並べて目を覚ますまで待
っていた。うたた寝だったのですぐに起きた
のだが、先週実家で会った時よりヨボヨボと
している父を見るのは痛ましいものだ。
しばらくして飲み物でも買おうと夫と一階の
売店に出かけて戻って来ると、入れ違いで埼
玉に住む伯父(母のすぐ上のお姉さんのご主
人)が来ていた。うちの両親は九州出身で、
この埼玉の伯父さん一家以外の親戚はほとん
どが九州在住である。父は今年の秋に母の姉
妹全員(母は6人姉妹の真ん中だ)と、その
配偶者全員で旅行をしたいと考えていて、伯
父を呼んで旅のプランを立てようとしたのだ。
しかし自分が呼びつけておきながら具合があ
まり良くなかったので具体的な案がまとまら
ず、結局半分は世間話に終始していた。
途中で父が話し疲れて眠そうになったので、
横になってもらって伯父・母・私達夫婦で病
院の最上階にあるレストランでお茶をした。
その後伯父と私達はそれぞれ病院を後にして
「今日はもう一人パパの友達が来るかも知れ
ないって言ってたから」と母は病室に戻った。

それから私達は渋谷のミニシアターに映画を
観に行った。渋谷といってもセンター街方面
ではなく青山通りのA学院大の側で少し奥ま
ったわかりづらい場所にある小さな映画館。
夫は自動車レース観戦が大好きで独身の頃は
鈴鹿へF1を観に行くくらい熱中していた。
今回観る映画「クラッシュ」は、富士スピー
ドウェイで1998年5月3日に行われたGTレ
ース(だったと思うが定かではない)で、乗
っていた車が大破・炎上する大事故から奇跡
の生還を果たし、壮絶な闘病生活からレース
への復帰を目指すレーサー太田哲也氏の4年
間を追った記録映画で、夫がどうしても観た
いと熱望していたものだった。
その事故が起こった大雨のサーキットに夫は
観客として居たのだと言う。視界が見えない
位のどしゃ降りで、試合直前のテスト走行
(フォーメーションラップって言ったかな)
の際に先頭のペースカーの速度が速すぎた為
に玉突き衝突が発生、“日本一のフェラーリ
遣い”と呼ばれていた太田氏は犠牲者になっ
た。当時の記録の合間に太田氏と奥様の篤子
さん、息子の佑人くん、当時のレース関係者
のインタビューが挿入された記録映画なのだ
が「お涙頂戴」的ではなく、むしろ淡々と事
実があらわされていた。

太田氏は臨死体験をし、死の淵に立った時に
黒いマントをまとった男性が現れて「短いけ
れど、君は濃い人生を送った」と声をかけて
太田氏を死の世界に導いていったのだそうだ。
その男と共に死への道を歩きかけた時に反対
から太田氏を呼び止める声がし、男を振りき
って「生きる」為に反対側の険しい坂道を上
がることを彼は選んだと言う。
その時マントの男は「生きることは死ぬこと
より苦しいことだよ」と言い残したのだと、
インタビュアーに当時のことを語る太田氏。
皮膚の大半が焼け、顔も鼻が陥没して穴だけ
になり、全身麻酔での手術は23回行われた。
7歳と3歳の子供の育児に追われていた奥様
は、子供に申し訳なく思いながらも必死で夫
の看病をする。「もう一度、あなたの笑顔が
見たいから」と。
家族愛に見守られた太田氏はどんな辛さにも
耐えようと頑張るが、まぶたの手術が終わっ
て目が見えるようになった頃、鏡に写る自分
の姿を見て「周囲を巻き込んで、こんな姿で
は生きていくなんて意味がない」と絶望して
病院の屋上まで自殺を図りに行こうとした。
が、屋上には鉄柵が張りめぐらされており、
自ら命を絶つことは出来なかった・・・。
それをきっかけに、再起に向けて懸命のリハ
ビリに励む。当時小学校に入ったばかりだっ
た長男の佑人くんは「お父さんの顔が変わっ
ても、心が変わってなくて前と同じだったら
僕はそれでいいと思った」と話す。
夫は事故の日の記憶や昔の太田氏の勇姿が頭
をよぎっているようだったが、私はその映画
を観ながら昼間病室で見た父の寝顔をずっと
思い浮かべていた。

何度も同じ言葉が頭を駆け巡る。
「パパは生きたいの?それとも死にたいの?」

・・・生きることは、苦しいこと。
病気や怪我と闘うことは辛いこと。
それから解放してあげたいけど、それでも命
は大切なもの。
自分の病を知ってから、父は弱くなった。
立ち向かおうとする前向きさが家族にも伝わ
ってこないし、母に対してはわがまま放題の
子供のようだ。父を心配しつつも本人に会う
と「まったくこのクソジジイ」と思うことも
ある。それでも家族は、あなたに生きていて
ほしいと願っているのだ。

この願いは、叶うだろうか・・・

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