愛している

2004年1月1日
去年の暮れのニュースで「今年一年を漢字一
文字で表すと何か」というアンケートの一位
は“虎”だったという話があった。しかし、
私の2003年を一文字で表すなら“涙”の
年だった。

私の体から息子が誕生し、私をこの世に誕生
させてくれた父が死んだ。
父のガンは2月に発覚したときに既に末期で
あったため、辛い抗がん剤治療を続けても病
魔には勝てず、12月11日の夜に65歳で息を
引き取った。

そして、10月5日に生まれた私の子供も病
気だった。
生まれて7時間後、お産をした病院では対応
できずに救急車で大学病院のNICUへ運ばれた
のだ。
あの一日のことを・・・陣痛、分娩の苦しみ、
子供が出てきた瞬間の感動、母となった喜び
・・・その後に訪れた絶望・・・私はいつま
で経っても日記に書くことが出来なかった。
遺伝やこれといった原因はなくても数千人に
ひとりはいるという、心臓に疾患を持って生
まれてしまった息子。
なぜ、どうして、私にこんな災難が?
この子は死んでしまうのだろうか?こんなに
大きく(3148g)誕生しているのに。
父に孫の顔を見せて治療の励みにしてもらい
たい、それしか私に出来ることはないのだか
らと、ずっと思っていたのに。
毎日NICUへ面会に行き、搾乳した冷凍母乳を
届けた日々。
初めての子供なのに、いきなり“母乳を搾る”
という作業も大変だった。
しかし一番大変だったのは誰でもない、病気
と闘う我が子自身だ。

10月24日、カテーテル検査とその後の治療
が成功し、息子は順調に回復して11月17日
に退院できた。
これからも定期的な通院や検査はあるが、1ヶ
月半遅れてやっと自宅で育児ができるようにな
り、息子の運の強さに涙が止まらなかった。
退院した翌日の夜、母が車を運転して父と妹と
姪が我が家に来て、夫の帰宅を待ち皆で退院祝
いの食事をした。
やっと私の息子を抱っこすることが出来た父、
これから父に孫との思い出をたくさん作って
もらいたかったのに、その夜が最初で最後に
なってしまった。

父の容態はその後悪化し、12月に入って腎
不全を併発して致命的となった。
4日に緊急入院、その際母は医師から「もう
生きてここから出られることはないでしょう」
と告げられたのだった。
母から父の危篤を知らせる電話が入った11日
の夜中の2時、ガラガラの首都高速を飛ばして
駆けつけた時の父の顔、妹達の涙・・・臨終の
瞬間までの一日のことは今も書けない。

私は父のことがとても好きだ。
いなくなってますますそう思う。
恋愛というのとは全然違うし、私はファザコン
ではないつもりだが、父という人間をとても愛
していたと、亡くして気づかされた。

そして、息子にも無償の愛を感じている。
私は愛する人をひとり失ったけど、かけがえの
ない命も誕生したのだ。
この子は生きていくことが出来た。
これから先の人生、息子を育てることで父へ恩
返しをしよう。
きっとこの子の病気を父が背負ってくれたのだ
ろうから。

パパごめんなさい。
ありがとう。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索